日本剣道形を学ぶ本当の意味

2014年8月2日土曜日に行われた第三回剣道ワールド定例稽古会にて、剣道範士八段井上義彦先生より、日本剣道形を学ぶ本当の意味についてお話を頂きました。井上先生の二人のお弟子さんによる日本剣道形の演舞も行われました。お話は2014年9月号の剣道日本に掲載された井上先生の記事を基づいたものでした。稽古会で渡された配布物は以下の通りです。

日本剣道形を学ぶ本当の意味
(井上義彦 剣道範士八段 『剣道日本』20149月号より引用)

Inoue-sensei talking about the true meaning of the Nihon Kendo Kata
Inoue-sensei talking about the true meaning of the Nihon Kendo Kata

殺したくないという思いを込めて
現代はあまねく平和すぎるので、死ぬということについての認識が非常に薄くなってしまっているのが現実だと思います。この剣道形を通して、死ぬということは大変なことであることを認識していただきたい。いくぶんなりともそれを認識していただくことで、剣道形が生きた剣道形になります。剣道形の太刀の形一本目、これは「剣術」です。三本目が「剣道」です。二本目は「剣術」と「剣道」の中間点です。「知仁勇三者天下之達徳也」。これは私が剣道の一番中心にしている考え方で、「知」とは、物事を間違いなく判断する力、知恵です。「仁」というのは、慈悲、慈愛、人間に対する優しさ。「勇」とは物事を実行するための勇気です。

  • 一本目一撃で相手を倒す伎倆を磨く:一本目は一刀両断にできる技量を身につける。
  • 二本目命までは奪わず軽傷を与える:二本目は小手を切るだけで致命傷を与えない。傷を与えるけれども相手を生かす、そういう心が働いています。
  • 三本目ともに生き合う喜びを:そして三本目は切ることなく、位詰という最高の気位で相手を追いつめるけれども、傷つけることはしない。そしてお互いが生き合う。ただ生き合うというだけでなく、両者が生きる喜びを感じながら元の位置に服する。これが剣道形の最大の狙いであって、現代の世の中でもそういうことが絶対必要。

剣道形で学べること剣先の威力を学ぶ
剣道の一番大事なところは剣先の攻めです。剣先の攻めがなければ剣道はだんだん低下して、たたき合いになってしまいます。そして剣先で攻めるから正しい間合が自然に取れるのです。 

剣道形から学ぶ稽古の仕方
現在は勝った負けたということを主体に稽古しているから、気迫が充実していようといなかろうと問題外です。しかし、勝った負けたを争うのが試合であり、稽古は両者が向上していくためにするものであるということを、認識願いたいと思います。両者ともが充分な気迫を持って相手に対することが非常に大事であり、そうすれば昔の剣道家のように、一本の稽古が2分か3分で精一杯になってしまう。現在はもうやめておけと誰かが言わない限り、10分も15分も稽古を続けています。それが現状で、勝ち負けの稽古にはなっているけれども、お互いの向上のための稽古にはなっていないんです。どうぞ稽古の仕方そのものを剣道形から吸収していただきたいと思います。

演武、稽古の注意点-段階に応じて違いがある
初心者に対しては「当たるように、当たらぬように遣う」。中級者に対しては「当たるようにして、当てずに遣う」、上級者に対しては「当たるようにして当てて遣う」。現在の剣道形というのは一刀流系統でもあり、これは大いに研究すべきでしょう。

全体を通して言えることは、ほとんどの演武者が打太刀の方の残心がないということです。打太刀はヤーと打ったら、そこで終わりになっている。しかし人間は切られて、いきなり絶命ということはほとんどありえません。私の刑務官としての経験では意識はなくても体はしばらくの間動いています。意識のない肉体の動きというものほど、恐ろしいものはありません。そういう死ということを感じさせる残心がないんです。

 剣道形の存在意義戦前と戦後の剣道を結ぶもの
現在の剣道が一度中絶して全然別個のものとして出発してきているのに対し、昔の剣道から継続しているのが日本剣道形です。剣道形さえも忘れてしまうと、まったく竹刀での当て合いの剣道になってしまう恐れがある。太刀の形三本目は現在の剣道では有効とならない水月を突いていきます。しかしこの三本目こそが剣道です。どこを打つこともない、突くこともない。打太刀仕太刀ともに無傷である。そして位詰という最高の攻めにおいて勝つ。負けた者も充分にそれに納得して、生きていることの喜びを感ずる。死なない、生きる、ということの大切さを教えた。これが剣術を剣道に改称する最大の理由だったと私は思っています。